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カテゴリ:留-Denver留学記( 88 )

7月31日(火) さよならDENVER

朝5時起床。
掃除機をかけて部屋をきれいにし、ベッドのシーツ等を洗って出発の準備。
7時に家を出発し、7:45、DIA着。
彼女はこのあと仕事があるので、入り口で別れた。
本当に世話好きで、話し好きで、いい人だった。
色んなところに連れて行ってくれたし、ホームパーティーも体験した。
ステイ先を代えたおかげでkeikoともmariaとも以前よりずっと仲良くなれた。
家を移って本当に良かったと思っている。
充実した1ヶ月を過ごせた。
毎日楽しくて、やることが沢山あって、話す事が沢山あって、
あっという間に過ぎた1ヶ月だった。
どれもこれもbethのおかげです。ありがとう、beth
最後にbethとhugしたときに、彼女はこう言ってくれた。
「来たい時にいつでも来なさい、いつでも大歓迎よ。」

搭乗ゲートまで送ってくれた友達と別れを惜しみ、中々乗り込まなかったので、
最後に搭乗ゲートを閉められてしまう、というアクシデントが。
置いていかれたら大変、と急いでゲートをくぐった。
最後の最後にmariaとkeikoが、手作りのカードをくれて、それを機内で読んだら、いろいろな思いが交じり合って涙が止まらなかった。

たった3ヶ月だったけど、沢山の人に出会い、いろいろな話が出来た。
いろいろな所に行って、気に入ったところは2度、3度と足を運んだ。
生活必需品を買い物したり、事前に計画を立てて旅行に行ったりした。
どれもこれも、旅行では味わうことの出来ないものだ。
3ヶ月という短い期間ではあったけれど、2001年の初夏、
私は確かにアメリカのコロラド州デンバーで生活していた
貴重な貴重な体験だったと思う。
やり損なった事は沢山あるけど、それ以上に得たもの、体験したものの方が多い。
素晴らしい3ヶ月だった。
この3ヶ月間を、私はきっと忘れない。
ありがとう、デンバー。


20191月 旧HPより転記



by reiko-204 | 2001-07-31 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月30日(月) さよなら、kaori

昨日に引き続き、また「さよなら」というタイトルになってしまいました。
今日はkaoriがdenverを去る日です。
やっぱりshinが迎えに来てくれて、グレイハウンドのバスの発着所へ。
kaoriは日本へ帰国するのではなくアメリカ国内の別の場所へ移るのです。
kaoriは同じ年の日本人の女の子でした。
この学校、日本人は沢山いたけど、男のほうが多くて女の子は最初あまりいませんでした。
学校でうまくいかないこと、家でうまくいかないこと、留学について、など、
沢山愚痴を聞いてもらってすっきりしたことが何度もあります。
自分が不安定な時期に、彼女の存在が大きな支えになってくれたのでした。
すごく感謝しています。
そんな彼女とのお別れもやっぱり寂しかった。
kaori、ありがとーこれからの生活、がんばれ!って心の中で叫んでました。


おもしろかったのがグレイハウンドのバス。
9:25分発のバスに、乗客がバスに乗るように指示されたのが9:30。
乗客が全員乗り出した後、今度はドライバーが来ずみんな待ちぼうけ。
結局バスが発車したのは10:15でした。
そんなん調子だと、目的地に着く頃は2時間押しとかなのでしょう、きっと。
日本じゃ考えられない。でもアメリカではこれが普通なんだろうな、きっと、と思える出来事でした。

さよなら、kaori

学校にちょっと用事があったのでそのまま学校へ。
用事を済まして最後にみんなに挨拶をする。
嬉しかったのは、一度学校を辞めた
lymが、今日から復活していて、久々に会えた事。
私と入れ違いになっちゃったのは寂しいけど、でも最後に会えてよかった。
e-mail addを交換し、一緒に写真を撮って別れる。
もちろんchuckにも最後の挨拶をし、isamuとも最後に沢山話して別れる。
isamuこそ私のsecond brother といった感じでした。
実際彼と同じ年の妹も日本にいるので。
まだ若いのにがんばってるisamu、夢をかなえてね。

学校を出て、いろいろ用事をし、小走りで家に帰った。
この3ヶ月で増えすぎた荷物を、日本へ送るためbethに郵便局へ連れて行ってもらうことになっていたのだ。
郵便局は18時までだったので、間に合うように急いで帰った。
17時半頃家に付き、もう用意してあったダンボールを車に乗せ、郵便局へ行く。
mariaがついてきて手伝ってくれたので、助かった。
そう、箱は2つもあったのです。増えすぎ・・・?
かなり大きな箱2つ(しかもひとつは全部本)を日本まで船便で$86.(1万強)。悪くないかな。


bethは恒例の“月曜マージャン大会”へで出かけて行き、私は最後のパッキングへ。
mariaとkeikoが部屋に来て、話しながらパック。
19時半頃から夕飯の支度。
折角なのでmariaに日本食を、とそうめんを作った。
なぜそうめんかというと、簡単だからです。〈苦笑) あ、あと涼しげだし(←苦しまぎれ?)
でもいろいろ具も用意したし、私が具とめんを用意している間keikoとmariaでバンバンジーサラダを作ってくれたので、
見た目にはすごい
豪勢でしたヨ。
私もkeikoも久々のあっさりした日本食だったのでおいしくもりもり食べました。
mariaも負けずに食べてました。
彼女はこの間のお好み焼きより口にあったみたい。
本当に良く食べてくれました。

ただし、mariaはそうめんと一緒にcokeを飲み、しかもフォークで食べてました。
う~ん異色な組み合わせ・・・

そうめんを食べるmariaとkeiko
「フォークの方が食べやすいよ」とmaria

夕食後、現像+焼き増しに出していた写真を受け取りに歩いてwalgreenまで。
walgreen(薬局、というか小型スーパーって感じのチェーン店)の目の前で事故車目撃!
へこんだ車と粉々になったフロントガラスを見た。こわー
ところでこの時、点滅しているパトカーの青いライトを見て妙に胸騒ぎ、というか焦燥感を感じた。
なんでだろう、ってしばらく考えた後、
「大学時代のサークルの練習所の電話が鳴った時のランプと同じ」って事に気付いた。
電話はちょっと隔離された場所にあって、そのランプが点滅すると電話が鳴っている合図なので、走って電話を受けに行っていたのでした。
だからパトカーのライトを見てこんな妙な気分になったんだと思うと、自分がちょっと怖くなったのでした。
無事写真を受け取り、隣のドーナツ屋でドーナツを4つおみやげに買って家に帰った。
で、bethを待って4人でデザートを食べ、最後の夜を話して過ごしたのでした。
寝たのは2時半。
明日も早いです。

20191月 旧HPより転記



by reiko-204 | 2001-07-30 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月29日(日) さよなら、yuki。

shinは4時に来た。
そのままmaria, keiko と車に乗り込み、kaori と一緒にDIA(Denver International Airport)へ。
既にチェックインカウンターに並んでいたyukiを発見。
すごい荷物で大変そうだった。
確かものすごく早い便だった気がする。6時とか。
早朝なので手続きもすぐにすみ、搭乗ゲートでしばし時間をつぶす。

このyukiとは不思議な縁だったな、と思う。
ホームステイというものは一家庭に生徒は一人だと思っていた私。
それが他にも生徒がいる、知ってまず驚き、
同じ日本人だったことにも驚き、男だったことにさらに驚いた私。
同じ家で生活するっていうのはやっぱりそれなりに大変。
衝突もしたし、言い争ったこともある。
それは何も彼に限らず、pamやbeth、maria、keikoもそうだったかもしれない。
でもyukiとisamuとは日本人として、日本語で付き合った。
それだけ深く接するし衝突もしたんだと思う。
そんな荒波(?)を乗り越え、yukiもisamuも、友達のような、家族のような、不思議な関係になった。
そんな人とのお別れはやっぱりつらい。
日本でも頑張ってやってちょーだい。
またきっといつか会うでしょう。その日まで。

さよなら、yuki。DIAにて。

家に帰ってきたのは7時半。即効寝る。
昼まで寝るつもりが起きたら15時で、bethもmariaも出かけていて、keikoは寝ていた。
17時頃bethが帰ってくるまでパッキングをしていた。
bethが帰ってきていろいろ話す。
もう大体準備は終わったのか、と聞かれ、実はまだ買えていないものがある、と言う。
adventure tourに持っていかなくてはならないもののうち、
sleeping bagは買ったのだけど、hiking shoesと懐中電灯をまだ買っていなかったのだ。
そうするとbethは、確かdowntownに大きなスポーツ用品店があったよ、と言ってくれる。
今日何時まで営業しているか調べてごらん、というので電話帳で調べて電話をすると19時までやっている、という。
bethは
reikoさえよかったら今から連れて行ってあげる、と申し出てくれたので、ありがたく連れて行ってもらうことに。
bethにも見立ててもらって無事必要品を買い終えた。
車の中でbethは、あなたの最後の夜は私は用事があって一緒に夕飯を食べられないから
今日みんなで外に食べに行こう、と言ってくれた。
何料理がいい?Greek? Italian? Chinese? と聞くので、
私は
珍しいものがいい、自分が今まで食べたことのない国の料理が食べたい、と言ったら
bethはいろいろ考えた挙句、モンゴリアンBBQにしよう、と一旦は決定したんだけど、
ふと思い出したらしく、モッロコ料理なんていいんじゃない?そう、あそこは良かったわ、おいしかったし、と言い出し、
oh yeah, it must be funと、
モロッコ料理に決定した。
私はというと、
「モロッコって・・・どこだっけ?」って感じ。(ココです。)
どんな料理が出てくるか見当もつかない感じ。

でもとりあえず楽しみ。

keikoとmariaを迎えに行くためいったん家に帰る。
ところがmariaは、用事あって家に帰るのが21時頃になる、と電話があったらしい。
残念だけど仕方がないので、bethとkeikoと再びdowntownに向かう。
さて到着したレストランは、入り口のドアを開けた瞬間
違う世界へ来たのかと思うくらい不思議な空間だった。
壁は一面エキゾチックな模様で、広いテーブルを囲んでお客さんは皆床に座っている
テーブルではなくてちゃぶ台のノリ。
座布団ならぬクッションが沢山置いてあって、快適は快適。
渡されるメニューの値段は全部同じで一律$25。
メイン料理だけを決めて、あとのスープ、前菜などはテーブル毎に持ってきて来るらしい。
出される料理全てがおもしろかったので、全部書き留めてはあるけど、長くなるので簡単に紹介。

まずレモン水で手を洗い、渡されたタオルを左肩にかける。
右手で直接食べるので、汚れた手を拭くためのタオルなのだそうだ。
最初に出されるのは固めのパン。他のお料理と一緒に頂きます。
次に来たのが薄味の人参。口直し用らしい。
前菜。大きなお皿に5~6種類のおかずが並ぶ。不思議な味のものが多かった。
ミートパイ。中はしっとり表はサクサク、そして表面には真っ白な粉砂糖が。えっこれ手で食べるの?って感じのもの。
でもポロポロこぼしながら、可笑しくて3人でケラケラ笑いながら食べました。そしてこの甘いミートパイがウマイ!!
かなりの大きさだったけど、きれ~いになくなりました。
メインは3人とも違ったもの。私はlamb with eggplant。おいしかったけどかなり脂っこく、量もすごいので全然食べきれずお持ち帰りになりました。
ここでもう一度手を洗います。
ウェイターが持ってきてくれる洗面器で手を洗ったあと、目をつぶって両手を前に出しなさい、と言われ、その通りにすると、
なんだか水滴が降ってくる・・・と思ったら、お清め(?)で、バラの香りの水を手や頭にふりかけられていたのでした。
いい香りで気持ちよかった~
そしてデザートはフレッシュフルーツ。本当にフレッシュでおいしい。
最後にチャイニーズティーって言ってたけど、すっごい砂糖入りの甘いお茶。
少量の塗る目のお茶で一気に飲みました。
甘いお茶で変な気分だけど、メインの肉の臭みを取り、口の中をリフレッシュさせるにはちょうどいい強烈な甘さでした。
私たちをserveしてくれたお兄さんに、最後に「ニホンジンデスカ?」と話しかけられる。
なんでも彼の奥さんは日本人で、自分も日本が大好きらしい。
いろいろ日本について話した後、「マタキテクダサイ。アリガトー」と言うので、
bethは、「モロッコレストランで、ウェイターはアメリカ人で、日本語を話す。奇妙な店だワ」と面白そうに言っていた。
確かにそうかも。

このモロッコ料理は、かなり貴重な経験でした。

そしてすごく楽しかった!mariaがいないのは残念だったけど・・・
そして、bethはこれはreikoのお別れ会だから、とtreatしてくれました。
なんだかんだ理由をつけて、外食しても必ず毎回ごちそうしてくれたbeth。
本当にごちそうさまです。



20191月 旧HPより転記






by reiko-204 | 2001-07-29 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月28日(土) ここを離れる支度

9時頃yuji+yumiko's houseを出た。
いつもの16th street まで歩いて数分。
いい所に住んでんなー
一緒にいた子達と, Market CafeでBF。
Berna 情報によると、
Denver で一番古いらしいこのカフェ
古いけど、感じが良くて、朝からお客さんがたくさんいていい感じ。
前にglennと来たときはお茶しただけだったからわからなかったけど、
食べ物もすごくおいしかった。ただし、アメリカにしては激高。
BFから$10も使ってしまった。
そのまままったりと、朝から恋話とかをする。
やはり万国共通ですね、こういう話は。
12時近くに別れる。
そのままブラブラと16th street を歩いて、家に帰ったのは15時。
ほとんど手をつけていないパッキングを始めなければ・・・と思っていると、
私が戻るのを待ちかねていたかのようにmariaが部屋に来る。
で、たたんでない洗濯物が山のようにあり、ものであふれ返っている汚い私の部屋でmariaと2時間ほど語る。
彼女は私が昨日寝ていた夜中に、shin とyukiと語り合っていたらしい。
夜中だということ、疲れがたまっているということ、もうすぐお別れだということが重なって、
かなり感情的になっていろいろ話したんだということを教えてくれた。
mariaの彼らに対する想い留学生というお互いの立場、そういうことをずっと語り合った
私はk-martに行く用事があったので、mariaを誘って一緒に家を出る。
この時17時半。
買い物が沢山あるから、とmariaとは別行動でひたすら必要なものを買い揃える。
日本へのおみやげやら、8月から始まるadventure tourで必要になるsleeping bag、Tシャツなどを買う。
買い物をする前に、1hour service の写真を出しておくことも忘れなかった。

今日はbethは友人達と外に食事に行っていたので、私とmariaは適当に冷凍食品などを解凍して、
昼間からずっと寝ているというkeikoを起こして夕飯を食べる。
そのまままただらだらと話しそうだったけど、なんとかパッキングにかたをつけ、
最後の晩をゆっくりと過ごしたかったので、今日は早々と席を立つ。
とはいってもこの時すでに22時半。
途中でソファでうとうととはしたものの、ベッドには入らずパッキングをがんばりつつ
今日は徹夜
明日は早朝にshinが迎えに来る事になっている。
そう、明日日本に帰るyukiを見送りに行くためだ。

20191月 旧HPより転記



by reiko-204 | 2001-07-28 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月27日(金) 最後の思い出作り



20191月 旧HPより転記



by reiko-204 | 2001-07-27 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月26日(木) 最後の授業

学校最終日だった。
最後の授業でやったこと。

《1限》
文化の違い、という題材でみんなで話し合っていた。
だんだん話がそれて、ものすごく日常的な事にまで話が及んだ。
いちばん印象的だったのが、「車の運転」。
アルゼンチンから来た人(名前忘れちゃった・・・)が、アメリカ人はとても丁寧に車を運転する、と言った。
それを聞いて、私達日本人はもうびっくり!
だって日本人の感覚から言うと、アメリカ人の運転は丁寧どころじゃなく乱暴極まりないから。
やりたい放題。
免許だって大した知識も練習もなくすぐに取れるし。
(このガイジンの私がラクに取得したことでもおわかりかとは思いますが・苦笑)
スロバキア人のslavkaも、アメリカの人は車の運転が雑だ、と反対。
これにより、雑だの丁寧だの、しばらく意見が交錯することになる。
要するに、運転の丁寧さの基準っていうのは自分の国の運転事情によるものだから、
こうやってある特定の国、ここではアメリカの運転事情について話したとき、
意見が分かれるのはもっともといえばもっともなのだ。
でもそれが
表面化されるときってなかなかないし、こんな機会でもなければ各自気付きもしないから、
こういう
語学学校っておもしろいんだなーって思った。

《2限》
みんなで理想的なTOEFL essayについて考えた。
みんなでintroductionから、body paragraph, conclusionまで一緒に作った。
クラス全員で100分かけて、ひとつのessayを作ったのだ。
そうやってクラス全員でひとつのessayを作ることによって、
まだTOEFL essayの構造を理解できていない人も、完全に理解できたのではないだろうか。
わからない生徒をおいていかない。
わからない生徒が理解できるまで、とことん教える。
その間もう理解してしまっている生徒に説明させたり、例文を言わせたりすることで、
その生徒も飽きさせない。
それって、
教師として最高の教え方だと思う。
クラス全員を参加させる、クラス全員を飽きさせない授業が出来る、
それって
教師の永遠のテーマだと、2週間のなんちゃって中学教師(教育実習)を体験した私は思うのだった。

《3限》
最初の40分間は普通の授業。
vocab quizeをやってから、essayを書いた。
題目は、20世紀のthe most important invensions で、invendion を3つ選んで、
そのひとつひとつをbody paragraphとし、
introduction, conclusion と合わせて5paragraphsのessayにせよ、というもの。
20分で案を練って、5paragraphsのessayを書く、というのは実は結構大変なのだ。
ダッシュで書いた。
何とか書ききったけど、見直せなかった。
きっといろんなミスでいっぱいだろう。
残りの1時間を使って、学校全員で近くの図書館へ行った。
実は今、このデンバーのdowntownの
図書館で、中古本セールをやっているのだ。
年1回行われるらしい。
かなり巨大な図書館なので、セールに出る本も相当沢山あるらしい。
中古本なので安いし、貧乏な留学生にはいいチャンスなのだ。
だからreading/writingの時間を使って、学校全体としてこのセールに行ったんだと思う。
chuckに、
なんかおすすめの本があったら教えてくれる?って聞いたら、
that's what I'm doing now、とのお答え。
嬉し~さすが私のwritingクラスの先生だ。
学校を辞めても英語を忘れないで勉強するように、って言ってくれた。
readingをすることで英語力はキープすることができるよ、とも言ってくれた。
彼から言われたことを忘れないようにしようと思う。
最後にお礼を言った。
あなたの授業が大好きだった、勉強するのが楽しかった、3ヶ月間本当にどうもありがとうと言った。
全部本音です。

chuck のクラス 一番好きなクラスだった。

昼休みや放課後は忙しかった。
いろんな人と、メッセージやemail addressを交換したり、
みんなで写真を撮ったり。
実は今日で学校を辞めるのは、私だけではなかった。
一緒にYellowstoneに行ったyuki, kaori, au, 他にnogk, yumiko, フランス人4人(フランス人の名前は難しくて覚えられませぬ。)

元々こじんまりとした学校で、生徒数も50人いるかいないか、の学校。
そんな中でこれだけの人数がそろって同じ日にやめるのはかなり珍しいのではないでしょうか?
毎週ひとり、ふたりの入れ替わりはあるけど。
でもきっとまた来週から新入生がいっぱい入ってくるんだろうな~
月の終わりだから、終わるにも始めるにも区切りがいいのだ。


放課後、そのままノリでまたまたHootersへ行きました。
前より沢山の人数が来ていて、最後に皆でさわぎました。
といっても明日もまた会うんだから、これでお別れ、って感じはなかったけどね。
休日も一緒に遊ぶほどではない程度の友人とはこれでお別れです。
みんな元気で。


20191月 旧HPより転記



by reiko-204 | 2001-07-26 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月25日(水) beth宅

今日はbethの家の紹介をしようと思う。
beth宅は、前のpam宅よりこじんまりしている。
その代わり、ものすごく広い庭がついている。


玄関

家の中から庭に下りる階段



pam宅(正面から)

まだまだ奥へ続く庭。
この敷石がなんとも心憎い。

庭はbethのお気に入りだった。
ホームパーティをするときは必ず庭だった。
家の中で飼っているsally とchampも、この庭で走り回っていた。
その代わり、この庭をきれいに保っておくことはものすご~く大変なことだということがよくわかった。
庭だって生きているのだ。
草も伸びるし、ゴミは出るし・・・
手入れをするのは手間がかかるんだよなー。

自分の部屋の写真や、家の中の写真も撮ったんだけど、暗くてあまりきれいに写ってなかったので、2枚だけ。


family room、 TVがある部屋。
ここで食後くつろいで、いろいろ語った。

私の部屋


いろんなものが置いてあるんだけど、その
ひとつひとつにbethのこだわりがあって、
それが不思議に
調和して、暖かい空気を生み出している素敵な家だった。
ここに1ヶ月間、お世話になってました。

ついでにbeth宅のほかに、私のお気に入りの家を紹介。
って言っても別に中に入ったことがあるわけじゃないけど。
家の周辺を歩いていて、すごく素敵だなーと思った家が何軒かあります。
その中でも特にお気に入りの2軒がコレ↓。
撮影者が悪く(ワタシ)、ちょっとゆがんでいるんですが・・・でも家はほんとに素敵なんです!


外から見ているだけでも幸せ~な気分になります。
いつかこんな素敵な家に住みたいな。



20191月 旧HPより転記






by reiko-204 | 2001-07-25 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月24日(火) 今後の予定は

1限、jeriのクラスに移って2日目。やっぱりこっちのクラスのほうが活気がある。
活気があるように感じるのは、英語が出来る生徒が多くいるから。
つまり、
クラス内で飛び交う英語量が全然違うから。
がんばってついていっている。
今日はglobarizationについて意見を交換し合った。
advantageは?disadvantageは?
席が近くの人とパートナーになってお互いの意見を交換し合い、
それをクラスみんなに発表する、という内容だった。
私の相手はスロバキア人のslavka. またこの人が英語が出来るのだ。
なんで語学学校にいるの?って感じの人。
以前jeri クラスの統合されていたときも感じたことだけど、この人は話の進め方がうまい。
話はどんどん脱線するんだけど、それが立派な授業になっているんだ。

最近、デンバーを出た後の計画をあわただしく立てている。
日本から決めてきた予定は、8月4日から23日間参加するadventure tour のみ。
飛行機の日程から、8月4日までの滞在場所、adventure tour 後の予定・・・
いろんな所へ電話をして少しづつ決めていっているところ。
今日決まったのは、デンバーを出てから8月4日までの滞在場所。
昔の家庭教師宅にお邪魔することになった。
7月31日という日程と時間、落ち合う場所を決めた。
今これだけ英語に囲まれた生活をしているのにもかかわらず、彼女に電話するときは少し緊張した。
たとえば学校の先生とか、bethとかと話すほうが自然と英語が出てくる。
やっぱり
彼女は私の英語の原点であり、昔も今もずっと私の先生だから、
ちょっと緊張するのかも。
変な英語は使えないってね。

20191月 旧HPより転記




by reiko-204 | 2001-07-24 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月23日(月) お好み焼き

ついに最終週となってしまった。
ラスト1週間、がんばっていろんな思い出を作ろうと思う。

実は先週の金曜日、1限のクラスのjerry(男)に、クラスを変わりたい、と言った。
最初この学校に来たとき、ちょうど3ヶ月前の5月だったけど、
1限のspeakingのクラスは一番トップレベルのクラスに配された。
jeri(女)のクラスだったんだけど、jeriは早口だし、そのクラスの他の生徒もペラペラしゃべって、
私は全然ついていけなかった。
1回授業を受けただけで、私はすぐにクラスをひとつ下げて欲しい、と申し出た。
そこで次に入れられたクラスがjerry(男)のクラスだった。
こっちのjerryは話し方もすごくゆっくりで、生徒数もずっと少なかったため、その時の私にはちょうど良かった。
とはいえ、やっぱり綺麗な英語を話す生徒もいたのだが。
それでも日本人がいたことも励みになった。
その後、jerryが学校を辞め、jeriクラスに統合されたり、
またjerryが戻ってきて元に戻ったり、
学校を辞めて国に帰る子がいたり、逆に新しく入ってきた子がいたりで、
クラス内は著しく変わった。
そして今やjerryのクラスでは私は物足りない、と感じていた。
もしかしたらメンバーが変わったからかもしれないけど、自分の英語力が上がったのだと思いたかった。
jerryの話す英語ではなく、jeriの早いスピードの英語に慣れたかったし、
自分と同じくらいのレベルの生徒がいるクラスにいるより、
自分より英語ができる生徒がいるクラスに行きたかった。
自分より英語ができる生徒がいることでそのクラスを逃げた3ヶ月前の自分とは全く違う自分がそこにいた。
jerryにそういったとき、彼はこう言ってくれた。
oh reiko, you are ready to go to jeri's class. oh but we'll miss you.

そして今日から晴れてjeriのクラスのメンバーになったのだった。
あとたった1週間だ。
何も変わらないかもしれない。
でも変わるかもしれないじゃないか。
そう思ったのだった。
最後の1週間、期待しよう。

さて私は料理ができない。
しかもあまり興味もない。
さらに興味がないことには面倒くさがるというサイアクの性格を持つ。
このため、ここデンバーに来てから料理などほぼしたこともなかった。
が、あと1週間しかここにいないのだ。
グルメで日本食も大好きなbethの為に一度くらいは料理しようと思っていた。
が、私に出来る料理で、ここでも食材が手に入るもので、しかもめんどうくさくないもの・・・
としぼりこんだ結果、3つくらい候補が上がった。
カレーライス、お好み焼き、そうめん。
これって料理って言うのか?って感じだなあ~
こんなことならアメリカに来る前にちょっとは勉強してくるんだったなー
とは思いつつ、まあいいかカレーでも。お好み焼きでも。そしてそうめんでも。
という結論に達し、今日の放課後は
sakura square まで食材調達に行ってきた。
昨日買えなかったソースも今日はちゃんと賞味期限に達していない(!)のを買ったし。
で、第1弾として、お好み焼きを作った。
keikoは日本から持ってきた、という箸を部屋から持ってきて、
お好み焼き(ソース、かつおぶし付き)、冷奴(醤油付き)を箸で食べる、という
本格的な日本的夕食になった。
mariaの口にはあまり合わなかったみたいだけど、
bethはかなりお気に召したご様子。
最初、「okonomiyakiってどんなの?」って聞いてきたので、
「kind of pancake」との私の答えに、怪訝な顔をしていたbethだけど、きれいに食べきってくれた。
果ては、帰る前にkeikoに作り方教えて帰ってくれ、そしたらkeikoにまた作ってもらうから、って何度も言ってた。
心配しなくても、keikoもお好み焼きくらい作れるでしょうよ。だって焼くだけだもんね~
なんならbethにも教えるよ?と申し出たら、私は料理嫌いなのよだってさ。
楽しい夕食だった。


20191月 旧HPより転記



by reiko-204 | 2001-07-23 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)

7月22日(日) 3度目のBoulder

今日は、auと、auの友達(学校の人じゃないから名前忘れちゃった)と、nogkとでboulderへ行く事になってた。
特に理由はなく、まあ強いて言えばドライブかな?
集合は10時だったので、私は9:45に集合場所へ。
ところが10時になっても誰も来ない。
10:15にようやくauが来て、nogkは10:30過ぎだった。
びっくりするのは30分も遅刻しといて、ごめんの一言もないこと。
nogkとはベトナム人の女の子だけど、それが彼女の性格なのか、ナショナリティーなのかはわからないけど。
遅れたら謝るのが常識だと思っている私にはショッキングな態度だった。
いい子なんだけど。

まあそれはそれで。
auの友達というのはauと同じタイ出身で、今はboulderで大学に行っているらしい。
さぞかし英語が出来るのかと思いきや、auと会うなりタイ語で話し出すのでこっちはチンプンカンプン。
やっぱり隣で意味不明な言葉を話されると不愉快になるものだ。
私も気をつけようと思った。学校には日本人が多いからね。
auは私とnogkを気にして英語で友達に話しかけたりもしてくれたけど、
その友達はあくまでもタイ語だった。さてはヤツ、英語が話せないな?
と思って私が話しかけるとちゃんと英語で返事が。
話せるなら英語で話せー
というわけで車の中ではタイ語を子守唄にして寝ちゃった私。
だって何言ってるかわからないし。

boulderではお店を見たり公園に行ったりしたけどあまりに日差しが熱くて断念。
代わりにアジア食材が売っている、というお店に連れて行ってもらった。
韓国語、中国語、そして日本語のパッケージの商品がずらり。
ベトナムの食材もあるらしく、nogkも嬉々として買い物をしていた。
私はソースも買った。
買った後ふと商品を見ると、なんと賞味期限が2000年1月になっている。
え?今は2001年7月なんですけど・・・これって間違い??
もう一度ソースが陳列されている棚に行って、そこにあるソースを全部チェックしてみた。
そしたらなんと、全部賞味期限切れだった。
ほとんどが2000年1月。奥には1999年なんてのも。
もちろん、返品しました。
当然、賞味期限切れてますよ、と教えてあげました。
そういえばソース、ほこりかぶってたもんね。
こわこわ。

そういえば今日は
“偶然”が度重なった日だった。
って言っても2回だけど。
朝、行きがけにバスを待っていると、同じバス停に学校の生徒が来た。
近くにホームステイしてるとは知ってたけど、こんなに近いなんて!
普段は違うバスルートを使っているけど、今日は日曜なのでそのバスが運休で、
家から20分歩いてこっちのバスルートの最寄り駅まで来たらしい。
車社会のこの国でこんなことってかなり珍しい。
また、帰りがけ、au達と別れて帰りのバスを待っていると、また同じ人に会った。
その人はその人で、やぱっりboulderに行ってたらしい。
とことんsame scheduleだったらしい。

mariaは出かけていて、夕食はbethとkeikoと3人で食べた。
keikoはまだ体調が悪いらしく、ぼーっとしていてかわいそうだった。




20191月 旧HPより転記




by reiko-204 | 2001-07-22 00:00 | 留-Denver留学記 | Comments(0)